刺し子のきほん 発売中。
刺し子講座については、こちらのページでご確認ください。
その他のご案内については、上部メニューを選択してください。

PC以外の方は、画面右上の よりメニューを選択してください。

私が大切にしている刺し子の姿

 日本で古くから受け継がれてきた家庭の手仕事、「刺し子」。

 それは、いにしえから伝わる服飾文化という立派な概念が確立されるずっとずっと前から、家族の女性たちの手によって、敬われて、可愛がられて、慈しまれて広められ、伝えられてきました。

 「刺し子」というと、東北地方の農民の服飾文化と思われがちですが、農民だけの服飾文化ではなく、地域も東北に限定されたものではありません。

 東北地方で農民に着られていた「刺し子」も、南関東より西では海で働く漁民が冷たい海水から身を守るために必要だった衣服が、まさしく何枚もの布を重ねた「刺し子」であったと記録されています。九州地方で用いられていた「刺し子」のドンザは、防寒着であり、浮き袋でもあった一方、晴れ着でもあったとされています。相反するステージでいつも傍らにあった「刺し子」は、ハレでもありケでもあり、人の暮らしそのものです。

 農民や漁民だけではなく一部の商人(農家から紅花商人に昇格した商人達)の間でも「刺し子」は大事に育まれてきました。大資本を持っていた豪商のように看板風呂敷、荷背負い用の風呂敷を上方へ染めに出すには多額の費用を投じなければ叶いませんでしたが、商人の妻達は、染める代わりに家紋や福寿文や吉祥文等を刺し、家内安全・商売繫盛を願った花風呂敷を考案するだけでなく、型染風呂敷に負けないよう創意工夫にはげみ、刺し子風呂敷ならではの華やかさを表現することにも成功しました。身分や地域を超えて「刺し子」を刺す女性たちの家族への愛情や他人への見栄・意地により続いたと言っても過言ではありません。農民・漁民の妻は、豊作・安全を祈願することはもちろんですが、少しでも他より格好の良い「刺し子」を夫や息子に着せたいという思いから、細かい針目の幾何学模様や吉祥文様の「刺し子」を刺し続け、後世に残しました。そんなわけで、いずれにせよ、長い歴史の中で日本の風土や文化だけでなく、暮らしや人々の想いの上に発展してきました。

 近年では、小中高等学校の家庭科の授業で、被服課程が取り上げられることは少なくなっていると聞きます。それなのに、若い人達の間で「刺し子」に興味・関心がもたれています。「刺し子」の技法そのものは1970年代からそれほど大きな変遷をたどっていないのにも関わらず、素材の改良や洋裁の発展により、手縫いの技法の会得や考え方以前に、色やデザインに着目されてきた傾向があり、それ故、カジュアルな映えフォトが流行り、いかに目立つか、いかに人の目に留まるかを探って作られるデザインや、どれだけ手間をかけずにスピーディーに完成させられるかの方が優先されてしまう今だから、私はあえて正統派。

 ただ可愛ければそれで良いのではなく、面倒な工程を減らしてただ効率的であることが良いのではない。「技法の基礎」と「知識の基本」の土台を大切にした上でのデザイン性と、鍛錬したからこそアウトプットできる普遍的で不変的な美しさにこだわっています。

 時間と共にトレンドとタイパを追いかけた末に見落とされてきた技法と、見せかけだけで色褪せてしまう美への怖さから。小手先だけでなく、スピード重視ではなく、作業効率重視でもありません。しかし、神は細部に宿ります。一見無駄なよう、意味がないようなことでも、それを繰り返していると大切な何かを得ることができますね。

 一針ひと針ただひたすら一、二、一、二…と運針を繰り返しているだけなのに、フリーハンドの手縫いでよくよく見れば不揃いな針目なのに息を飲むほど美しい刺し子とそうでない刺し子がある。何が違うのか。私の信じている細部の神さまを皆さんと一緒に追及していきたいと思っています。ひとつずつ積み重ねて、10年・20年後、50年後にも使い込まれてくたくたになっても、凛として堂々として美しいのだと思っています。

 だからこそ、私はトレンドではなく、まずはオーソドックス(正統派)であることを大切にしています。


このホームページに掲載している写真、画像、文章等の無断転載・転用・使用またはこれに類する行為を固くを禁じます。